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大阪地方裁判所 平成4年(ワ)10869号 判決

原告

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

中道武美

松本康之

小久保哲郎

被告

大阪府

右代表者知事

山田勇

右訴訟代理人弁護士

井上隆晴

青本悦男

細見孝二

右指定代理人

毛利仁志

外七名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一二一万八〇四〇円及びこれに対する平成四年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、本件当時二九歳(昭和三八年九月二四日生)の男性であり、主として東京都台東区の山谷地区で日雇労働に従事していたが、本件当時は、大阪市西成区の釜ケ崎で働く労働者との交流のため、大阪市西成区に来ていた。

2  労働者による抗議行動

大阪市は、同市西成区に設置している大阪市立更生相談所(以下「市更相」という。)において、日雇労働者に対し「応急援護金」の貸付支給をしていたが、平成四年一〇月(以下、日にちのみの記載はいずれも平成四年一〇月のことである。)一日、右「応急援護金」の貸付業務を中止したことから、多数の労働者による抗議行動が市更相周辺で開始された。

3  警察官による原告の違法逮捕

(一) 原告は、三日午後八時ころ(以下、時刻のみの記載はすべて三日のことである。)から、黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンという服装で、市更相の南側路上に集まっていた約二〇名ほどの労働者とともに様子を見ていたところ、午後九時ころ、少年四、五名が市更相南側路上付近から新紀州街道まで出て行って、別紙図面B地点(以下「B地点」という。)付近にいた機動隊や私服警察官に対する断続的な投石を開始した。これに対し、私服警察官一〇名以上が少年らの行動を牽制するため別紙図面A地点(以下「A地点」という。)までやって来てはB地点まで戻っていたが、原告は他の労働者及び少年らとともに警察官の動きに対応して市更相南側の路地の東側に移動しては戻っていた。

(二) 原告は、私服警察官約一〇名が午後一〇時三〇分ころにA地点からさらに市更相南側の路地に突入してきたことから、周囲の労働者とともに南側路地を東に向かって走って行ったところ、東側からも私服警察官が多数突進してきて、原告は東側から突進してきた警察官と衝突し、その際の衝撃で原告のかけていた眼鏡がどこかへ飛んでしまった。

(三) 原告は、東側から来た私服警察官一名を含む二名の警察官によって逮捕された。その際、一名の警察官は、原告の背後に立って両腕を後ろにねじり、他の一名は原告の前に立って足蹴りを加えた。

(四) その後、逮捕された者は一箇所に集められ、各人の両わきに一名ずつ警察官がつく形で西成署へ連行された。原告は、連行の途中、両腕を後ろへねじられ、足を蹴られながら連行された。

4  西成署における暴行

(一) 原告は、西成署三階の講堂兼剣道場(以下「講堂」という。)に他の連行者約八名とともに集められ、そこで正座を強要され、番号札を持たされた。

(二) 原告は、正面に立った私服警察官から「名前と年齢を言え。」と問われたが、黙秘権を行使したところ、周りにいた私服警察官数名から顔を殴られ、腰を蹴られるなどの暴行を受けた。

(三) その後も原告が黙秘を続けたため、前にいた私服警察官が「こいつは釜共(「釜ケ崎共闘会議」なる労働組合運動組織の通称)や。取調室行きや。」と言い、その場で番号札を持った原告の立姿を写真撮影した後、二階の取調室にひきずって行った。

(四) 原告は、取調室で椅子に座らされ、再度「名前を言え。」と言われたが、再び黙秘権を行使した。すると、取調室にいた五名ほどの私服警察官は、こもごも、原告の頭髪を持って取調室の壁に後頭部を多数回にわたってぶつけたり、仰向けの姿勢で床に押し付けて床を引きずったり、シャツの背中の部分をめくった状態で一〇回以上にわたり竹刀で背中を殴打したり、うつ伏せで大の字にして床に押し付けて肛門を竹刀で複数回激しく突いたり、足を広げて仰向けにしたまま膝の関節を周りから蹴ったり、床に無理やり正座させ、足の間に警棒を挟んで膝を殴ったり、塩を口に押し込んだ後顔面にまぶして殴ったり、倒れた原告の両足を掴んで広げて急所を踏みつけたり、「潰すぞ。」と言いながら急所を掴んだ上、足膝の内側を蹴りつけたり、両手の小指の関節を逆に折るなど原告の全身に対する暴行を加えた。

(五) その後、原告が取調室において私服警察官二名から取調べを受けた際も、右二名の警察官は、原告の髪を捕んで顔を殴ったり、「息をするな。」と言いながら、手で鼻と口を押さえ付けた上、原告の所持品であるライターに火を付け、顎に近づけて顎髭を焼いたりするなどの暴行を加えた。

5  原告の傷害

原告は、頭髪を持たれて取調室の壁に後頭部を多数回にわたってぶつけられる暴行により「長さ二センチメートルの後頭部挫創及び頭部打撲」の、仰向けの姿勢で床に押し付けられて床を引きずられたり、シャツの背中の部分をめくられた状態で一〇回以上にわたり竹刀で背中を殴打される暴行により「背部打撲挫創」の、うつ伏せで大の字になり床に押し付けられて肛門を竹刀で複数回激しく突かれる暴行により「尾底部打撲」の、足を広げられて仰向けになったまま膝の関節を周りから蹴られたり、正座をしている膝の間に警棒をはさみ膝を殴る暴行により「右足打撲」の、その他の前記各暴行により顔面打撲、頬部打撲、両前腕挫創の、各傷害を負った。

6  原告の釈放と病院での治療

原告は、四日午前〇時四〇分ころに釈放されたが、前記負傷のため、同日午前二時ころ、大阪市北区所在の救急病院である行岡病院に行き、頭部を二針縫う等の治療を受けた。

7  原告に対する逮捕の違法性

警察官が原告を現行犯逮捕したことは、原告は市更相周辺において周囲の様子を見ていたに過ぎず、警察官に対して暴行強迫を加えた事実はなく、公務執行妨害罪に該当する事実は存在しないから、現行犯逮捕の要件を欠くものとして違法である。

8  被告の責任

原告を逮捕し、原告に対して前記4の暴行を加え、5の傷害を負わせた各警察官は、いずれも被告の公権力の行使にあたる公務員であり、警察官としての職務を執行するについて、故意に違法な逮捕行為をし、かつ、故意に原告の身体に対して違法な暴行を加えて傷害を負わせたものであるから、被告は、原告に対して損害を賠償する義務がある。

9  原告の損害

(一) 治療費 一万八〇四〇円

(二) 慰謝料 一〇〇万円

(三) 弁護士費用 二〇万円

合計 一二一万八〇四〇円

10  よって、原告は、被告に対し、国家賠償法に基づき一二一万八〇四〇円及びこれに対する不法行為の後で訴状送達の日の翌日である平成四年一二月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は知らない。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)の事実のうち、原告が当時黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンという服装であったことは認め、その余は否認ないし不知。

4  同3(二)の事実のうち、警察官が、A地点からさらに市更相南側の路地に突入し、原告が周囲の労働者とともに南側路地を東に向かって走って行ったこと、東側からも警察官が多数突進していったことは認め、その余は否認する。

5  同3(三)の事実のうち、原告が警察官によって逮捕されたことは認め、その余は否認する。

6  同3(四)の事実のうち、逮捕された者を一箇所に集め、原告の両わきに一名ずつ警察官がつく形で西成署へ連行したことは認め、その余は否認する。

7  同4(一)の事実のうち、原告を、西成署三階の講堂に他の連行者とともに集めたことは認め、その余は否認する。

8  同4(二)の事実のうち、警察官が原告に対して氏名、年齢等を尋ねたが、原告が黙秘権を行使したことは認め、その余は否認する。

9  同4(三)の事実のうち、原告が黙秘を続けたこと、番号札を持った原告の立姿を写真撮影したこと、原告を二階の取調室に連行したことは認め、その余は否認する。

10  同4(四)の事実のうち、原告を取調室の椅子に座らせたこと、再度氏名等を尋ねたが原告が黙秘を続けたことは認め、その余は否認する。

11  同4(五)の事実は否認する。

12  同5の事実は否認する。

13  同6の事実のうち、原告を四日午前〇時四〇分ころに釈放したことは認め、その余は知らない。

14  同7及び8の事実はいずれも争う。

15  同9の事実は不知ないし争う。

三  被告の主張

1  事実経過

原告を逮捕して取調べ、釈放に至るまでの経過は以下のとおりであり、原告の公務執行妨害行為を現認して逮捕した現場の状況は、別紙現認・逮捕現場見取図記載のとおりであって、原告の主張する違法逮捕ないし暴行の事実は全く存在しないものである。

(一) 直轄警ら隊の出動

(1) 「応急援護金」の支給手続中止を原因として、一日に労働者らが暴徒化して違法行為を開始した、いわゆる「第二三次あいりん地区集団不法事案」の発生に伴う警戒警備を実施中の西成署警備本部は、三日午後一〇時五分ころ、不法集団による違法行為に対する部隊規制、検挙活動を任務とする同署直轄警ら隊(以下「直轄警ら隊」という。)の隊長竹田浩治警部(以下「竹田警部」という。)に対し、無線で「救急車が救護活動のため市更相前に来たが、救急車の防護に当たり撤収する警察部隊に対し投石した少年五、六人のグループや労働者らが、市更相南側路上に集まっており再度投石のおそれがある。また、市更相前の路上に段ボールやゴミ袋を投げて火をつける労働者がいる。直轄警ら隊は、市更相南側に転身配置し、これらの違法行為をよく現認の上、違法行為者の検挙に当たれ。」との指示を行った。

(2) 右指示を受けた直轄警ら隊長竹田警部は、南海電鉄天王寺線(以下「南海天王寺線」という。)今池駅直近に待機中であった指揮下の三班三六人構成の直轄警ら隊を帯同して転身配置し、その途中に大阪府警察第一機動隊第三中隊(以下「機動隊」という。)が大阪市西成区太子二丁目二番一八号ホテル「公庸館」前車道上で警戒警備しているのを確認して、午後一〇時一〇分ころ、市更相南側約三五メートルの同町一番七号「むさしや浅田商店」前歩道上に到着した。

(二) 原告の公務執行妨害行為を現認して逮捕行為に着手するまで

(1) 直轄警ら隊は、「むさしや浅田商店」前歩道上に、新紀州街道に沿って三列縦隊に並び、その約五メートル北方の同町一番一号所在コインロッカー「幸福」前に竹田警部、伝令の稲見佳輔巡査部長、第二班班長草竹雅弘警部補(以下「草竹警部補」という。)が位置して、そこから約三〇メートル離れた市更相南側路上を重点に群衆の動向監視に当たっていた。その際、群衆は、市更相前を中心に新紀州街道沿いに東側約三〇〇人、西側約二〇〇人の合計約五〇〇人がおり、時折、機動隊に向けて投石したり、大声を出していた。

(2) 他方、機動隊は、大阪市西成区太子二丁目二番一八号ホテル「公庸館」前車道上に横一線疎開隊形で配置後、午後一〇時一五分ころ、直轄警ら隊の検挙活動を支援するために徐々に北進を開始し、同一七分ころに「公庸館」前から約一〇メートル北上した、太子一番八号「多賀竹材店」前車道上に到達したところ、機動隊に向けて投石があったので、一時停止したが、同一八分には、更に北進して太子一番七号「むさしや浅田商店」前車道上東西一杯に並んで警戒についた。

(3) 機動隊が「むさしや浅田商店」前に到着した同一八分ころから投石が増え、竹田警部は、約三〇メートル北東の市更相南側路上から機動隊に向けて直径が幼児の拳大の石を投げて楯に当てていた、黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンの男(後に原告と判明)を含む五名を現認した。同時に、草竹警部補も、後に原告と判明した黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンの男を含む五名が、石を投げ機動隊の楯に当てていたのを現認した。

(4) 竹田警部は、午後一〇時二五分ころまでの間、原告を含めた被疑者らの動向を確認した後、指揮下の直轄警ら隊員に対し、犯行の状況、公務執行妨害罪という罪名、被疑者らの服装、被疑者らのいる位置を説明の上、被疑者五名の検挙を命令した。その際、各班の分担として、第一班は市更相の南側細街路を東方から西進して被疑者等の後方に回り込んで逃走防止、第二班は市更相南側に直進して被疑者の検挙、第三班は市更相南側に直進して第二班の支援と被疑者の奪還防止とすることを隊員に指示し、各隊員に被疑者の確認をさせた上、第一班は、太子一丁目一五番八号ホテル「うれしの」前路上に転身配置を指示した。

(5) 竹田警部は、午後一〇時三四分ころに第一班班長から無線で「転身配置」の報告を受け、第二班及び第三班に「検挙前」と号令を下し、第二班は車道東側寄りを、第三班は隊長を先頭に車道中央付近を一列縦隊の徒歩で北進を開始した。

(三) 原告を逮捕した際の状況

直轄警ら隊第二班及び第三班が被疑者らの前方約一〇メートルまで接近したとき、被疑者らはやにわに市更相南側細街路を東方向に逃走したので、第二班及び第三班が追跡したところ、被疑者らは細街路を東側から西側に向かってきた第一班と鉢合わせして入り乱れていたが、竹田警部は、原告が第一班の隊員の横をすり抜けて更に東に逃走しようとするのを認めた。そして、同時にこれを認めた草竹警部補は、原告に対し、「止まれ、止まれ。」と連呼しながら二〇メートル追跡して太子一丁目一五番一〇号先路上で追いつき、原告の右肩に手をかけたところ、原告は右手でこれを振り払おうとして右肩をねじると同時につまづいて左肩部から電柱に衝突し、電柱を巻き込むような形で倒れ込み、後頭部をモルタル塗り建物の角に打ちつけて、尻餅をつき仰向けに倒れた。草竹警部補は、午後一〇時三七分ころ、両手で起き上がろうとする原告の両肩を押さえつけ、原告に「公務執行妨害罪で逮捕する。」と告げて現行犯逮捕した上、近くにいた直轄警ら隊巡査部長黒田勇人(以下「黒田巡査部長」という。)及び同巡査湯前孝則(以下「湯前巡査」という。)に対し、「この男は公妨の被疑者である。二人で本署まで連行せよ。」と命じた。

(四) 原告の連行状況

竹田警部は、逮捕した被疑者である原告らを連行するため、南海天王寺線路沿いに集めたが、その際、黒田巡査部長らは原告の後頭部の髪の毛が若干血で濡れたようになっていたのを認めた。その後、竹田警部を先頭に同線路上を西成警察署に向けて進行したが、黒田巡査部長及び湯前巡査の両名は、原告の腕を持って連行したが、原告は腕をほどこうとしたり、身体をねじるなどの抵抗をしたので、持っている腕を強く握って制止した。竹田警部らは、午後一〇時四五分ころ、原告らを被疑者受入れ場所である西成署三階の講堂に原告らを連行し、受入れ班の捜査員にそれぞれ引致した。

(五) 原告の受入れ時の状況

西成署刑事課員らは、受入れ被疑者の受付、事件判断、弁解録取及び取調べを主な任務とする「受入れ班」を組織し、講堂の床にビニールシートを敷き、長机、パイプ椅子を置いて受入れ場所としていた。

直轄警ら隊が午後一〇時四五分ころ原告を含む被疑者ら一二名を連行してきたので、受入れ班は、連行者らに番号札と「公妨事件取扱メモ」を手渡した。

原告は住所氏名等を黙秘したので、受付番号により「西成二五」と呼称され、その取調べは、受入れ班第一班班長栗林義隆警部補(以下「栗林警部補」という。)が担当することとなった。

(六) 原告の取調べ指示

(1) 栗林警部補は、佐々木勇人巡査部長(以下「佐々木巡査部長」という。)及び大西充巡査(以下「大西巡査」という。)に対し、原告からの弁解録取及び取調べを命じたが、その際、原告の頭部負傷に気付き、頭部を点検したところ、後頭部の上部に止血した傷跡が認められた。佐々木巡査部長も右負傷状況を確認した。

(2) 栗林警部補は、同時に、三田村裕史巡査に対し、原告と連行者の並立写真を撮影するよう指示するとともに、原告に対して住所、氏名等人定事項を質問したが、原告は黙秘した。

(七) 講堂における原告の取調べ状況

(1) 佐々木巡査部長及び大西巡査長は、午後一〇時五〇分ころ、原告の写真撮影後、原告に対し、中央北側付近のパイプ椅子に座るよう申し向けたが、原告は体を硬くして立ったまま座ろうとしなかったので、原告の左側に位置していた佐々木巡査部長が原告の左腕を取ってパイプ椅子に座らせようとしたところ、原告は頑として身体を硬直させ椅子に座ろうとしなかった。そこで、佐々木巡査部長が更に原告の左肩を押さえて座らせようとしたところ、原告は座ろうとせず佐々木巡査部長の手を振りほどきながら講堂から退室しようとしたので、佐々木巡査部長がこれを制止しようとしたが、原告はこれに抵抗し、パイプ椅子が倒れ、原告と佐々木巡査部長が共にその場に倒れた。

(2) 栗林警部補は、講堂内が他の被疑者等や取調官の大声で取調べに支障が有り、かつ、原告の逃走を防止するため、取調べ場所を西成署二階の刑事課第八取調室(以下「取調室」という。)へ変るよう指示したので、佐々木巡査部長が先頭に立ち、大西巡査長が原告の左腕を持って取調室へ向かった。

(3) 取調室においては、原告を取調室中央のスチール机の西側の丸椅子に座らせ、佐々木巡査長は東側の折りたたみ式パイプ椅子に原告に正対して座り、大西巡査長は北西角の木製机に向いて折りたたみ式パイプ椅子に座り、出入口開戸は、面割作業が容易にできるよう開放した状態で取調べを行った。

取調室には、中央のスチール製机の上に弁解録取書とメモ用紙が、北西角の木製机の上に司法書類用紙が置かれていたが、それ以外のものはなかった。

(4) 佐々木巡査部長は、原告に対し、本件被疑事実の要旨を告げて弁解の機会を与えたが、原告はうつむいたまま何も喋らず、弁護人を選任できる旨を告げても黙して語らなかったので、その旨記載した弁解録取書を作成し、署名、指印を求めたが、原告はこれにも応じなかった。

(5) 佐々木巡査部長は、弁解録取書作成後、原告の頭部負傷状況を再確認したところ、講堂で確認したときと同様の状態で腫れもなく、「病院に行って手当てするか。」と尋ねても原告は無言であったし、他に怪我がないか調べようとしたが、原告が手を振り上げて拒否する態度を示した。

(6) その後、佐々木巡査部長は、原告に住所、氏名、年齢等の人定事項を質問したが、原告はすべて黙秘した。

(7) 栗林班長は、午後一一時二〇分ころ、取調室に行き、佐々木巡査部長を廊下に呼んで取調べ状況を確認した。この際、他の警察官が、取調室の外から原告を見て原告の氏名等を割り出そうとしたが、割り出すには至らなかった。

(8) 佐々木巡査部長は、午後一一時三五分ころに取調室に来た受入れ班の責任者である粉川満警部(以下「粉川警部」という。)に取調べ状況を報告し、その後に取調べを再開して被疑事実や所持品等について繰り返し発問したが、原告は黙秘を続けた。

(9) 他の警察官が、四日午前〇時二〇分ころ、取調室の外から面割り確認を行ったが、原告の氏名等を確認するには至らなかった。

(八) 原告の釈放

粉川警部は、原告に対する取調べ状況について完全黙秘である旨の報告を受け、事案の内容からして事後捜査に委ねるべきであると判断し、上司に報告して釈放の指示を受け、四日午前〇時四〇分、原告を釈放した。

2  原告に対する現行犯逮捕の適法性

西成署直轄警ら隊隊長の竹田警部及び右直轄警ら隊第二班班長の草竹警部補は、市更相の斜向い側から、警察官に向って投石している者の中に、黒っぽいウインドブレーカーと紺色作業ズボンをはいていた原告の存在を現認しているから、原告が公務執行妨害罪に該当する行為を行ったことは明らかである。

3  原告の傷害の範囲

原告は、四日午前〇時四〇分ころ西成警察署において釈放された後、同日午前二時二五分ころ、宿泊先近くの行岡病院において診察を受けているが、傷害を負った原因として自転車で転倒した旨の虚偽の事実を述べ、後頭部挫創と左前腕部擦過創の治療を受けたにすぎない。原告は、釈放直後に受診しているのであるから、当然すべての負傷部位について診察を受けているはずであり、右以外に負傷はなかったのである。

4  原告の傷害の原因

原告の後頭部挫創及び左前腕部擦過創は、原告が逮捕直前に転倒した際に生じたものである。すなわち、前記のとおり、草竹警部補が原告に対し、「止まれ、止まれ。」と連呼しながら二〇メートル追跡して大阪市西成区太子一丁目一五番一〇号先路上で追いつき、右肩に手をかけたところ、原告は、右手でこれを振り払おうとして右肩をねじると同時につまづいて左肩部から電柱に衝突し、電柱を巻き込むような形で倒れ込み、後頭部をモルタル塗り建物の角に打ちつけた際に後頭部に挫創が生じたものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

1  原告に対する現行犯逮捕の適法性について

(一) 本件当時の本件投石現場における照明としては、街灯として①市更相前の水銀灯、②「万田屋酒店」と「大木硝子」の境目のところの水銀灯、③「パブリックホテル」の前の水銀灯だけであり、その他には市更相南西角の螢光灯、「万田屋酒店」前の自動販売機の明かりのみであった。①の水銀灯は、市更相の北側にあり、②の水銀灯も投石現場からはかなり離れており、③の水銀灯も投石現場から離れたところにある。このように、いずれの水銀灯も投石現場から遠く離れたところにあったのであり、現場を直接照らす照明灯はなかったのである。しかも、原告の投石行為を現認した旨主張する警察官と、投石現場との距離は約三〇メートル離れており、右各照明のうち、③以外の照明は、全て投石行為者を後ろから照らす照明であった。このような照明の位置、状態、程度、方向では、服装としてジャンパーとウインドブレーカーの区別、黒っぽい色と紺色との区別は不可能であり、投石行為者として原告を特定することは不可能であった。また、原告は強度の近視であり、当時も眼鏡を着用していたにもかかわらず、これが現認されていないのは不自然である。

(二) 原告を逮捕し取り調べた各警察官は、原告の投石による公務執行妨害行為を裏付けるための客観的証拠を何ら収集することなく、原告を取り調べたのみで直ちに釈放しているから、警察としては、市更相周辺の違法行為者を特定し、その身柄を確保するとともに、被害警察官を特定し、投石された石等の証拠物を総合して、行為者の処分を決定するという意図は全くなかったものである。したがって、原告の投石行為を現認したと主張する警察官にも、投石行為者を現認する意図がなかったことは明白であるから、原告の投石行為を現認しているはずがない。

2  原告の傷害の範囲について

原告は、行岡病院において診察を受けた際、傷害の原因として「自転車で転倒した」旨述べているが、これは、警察での暴行の事実を医師に告げても信じてもらえず、警察に住所氏名を通報されてしまうのではないかという不安をもったためであり、警察で不当逮捕された直後の緊張と不安の状態を前提とすると何ら不思議ではなく、十分了解可能というべきである。

また、原告が、医師に対し、傷害部位として後頭部挫創と左前腕部擦過創のみを示したのは、緊急に治療が必要なひどい傷害部分のみを診療してもらうためにすぎない。

3  原告の傷害の原因について

被告主張のように、原告の右肩に手をかけられ、原告が右手でこれを振り払おうとして右肩をねじると同時につまづいて左肩部から電柱に衝突し、電柱を巻き込むような形で倒れ込み、後頭部をモルタル塗り建物の角に打ちつけた際に後頭部挫創が生じたのであれば、もっと重い挫創ができていたはずである。

4  警察官に目撃された原告の傷害の状態について

原告を逮捕場所から西成署まで連行した黒田巡査部長は、原告の後頭部の傷を見ていると供述しているのに、原告を逮捕して右腕を後ろ手にもっていた草竹警部補は、後頭部の傷を見ていないと供述しており、原告を連行した両警察官の間で供述が矛盾している。

また、栗林警部補及び佐々木巡査部長は、原告の後頭部付近に幅約一ミリ、長さ約五ミリの傷があった旨供述しているが、この供述は、傷の長さが二センチメートルという行岡病院の診断結果と矛盾する。

第三  証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  原告の現行犯逮捕の適法性について

1  請求原因2の事実、同3(一)の事実のうち、原告が当時黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンという服装であったこと、同3(二)の事実のうち、警察官が、A地点から更に市更相南側の路地に突入し、原告が周囲の労働者とともに南側路地を東に向かって走って行ったところ、東側からも警察官が多数突進していったこと、同3(三)の事実のうち、原告が警察官によって逮捕されたこと、同3(四)の事実のうち、逮捕された者を一箇所に集め、原告の両わきに一名ずつ警察官がつく形で西成署へ連行したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実、後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一)  直轄警ら隊の出動

(1) 大阪市による「応急援護金」の貸付手続中止を原因として一日に発生した労働者抗議行動に対し、警戒警備を実施中の西成署警備本部は、三日午後一〇時五分ころ、労働者等の違法行為に対する部隊規制、検挙活動を任務とする直轄警ら隊の隊長竹田警部に対し、無線で「救急車が救護活動のため市更相前に来たが、救急車の防護に当たり撤収する警察部隊に対し投石した少年五、六人のグループや労働者らが、市更相南側路上に集まっており再度投石のおそれがある。また、市更相前の路上に段ボールやゴミ袋を投げて火をつける労働者がいる。直轄警ら隊は、市更相南側に転身配置し、これらの違法行為をよく現認の上、違法行為者の検挙に当たれ。」との指示を行った(〈証拠略〉)。

(2) 右指示を受けた竹田警部は、南海天王寺線今池駅直近に待機中であった指揮下の三班三六人構成の直轄警ら隊を帯同して転身配置し、その途中に機動隊が大阪市西成区太子二丁目二番一八号ホテル「公庸館」前車道上で警戒警備しているのを確認して、午後一〇時一〇分ころ、市更相南側約三五メートルの同町一番七号「むさしや浅田商店」前歩道上に到着した(〈証拠略〉)。

(二)  原告の公務執行妨害行為を現認して逮捕行為に着手するまで

(1) 直轄警ら隊は、「むさしや浅田商店」前歩道上に、新紀州街道に沿って三列縦隊に並び、その約五メートル北方の同町一番一号所在コインロッカー「幸福」前に竹田警部、伝令の稲見佳輔巡査部長、第二班班長草竹警部補が位置して、そこから約三〇メートル離れた市更相南側路上を重点に群衆の動向監視に当たっていた。その際、群衆は、市更相前を中心に新紀州街道沿いに東側約三〇〇人、西側約二〇〇人の合計約五〇〇人がおり、時折、機動隊に向けて投石したり、大声を出していた(〈証拠略〉)。

(2) 他方、機動隊は、大阪市西成区太子二丁目二番一八号ホテル「公庸館」前車道上に横一線疎開隊形で配置後、午後一〇時一五分ころ、直轄警ら隊の検挙活動を支援するために徐々に北進を開始し、同一七分ころに「公庸館」前から約一〇メートル北上した、太子一番八号「多賀竹材店」前車道上に到達したところ、機動隊に向けて投石があったので、一時停止したが、同一八分には、更に北進して太子一番七号「むさしや浅田商店」前車道上東西一杯に並んで警戒についた(〈証拠略〉)。

(3) 機動隊が「むさしや浅田商店」前に到着した同一八分ころから投石が増え、竹田警部は、約三〇メートル北東の市更相南側路上から機動隊に向けて直径が幼児の拳大の石を投げて楯に当てていた、後に原告と判明した黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンの男を含む五名を現認した。同時に、草竹警部補も、後に原告と判明した黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンの男を含む五名が、石を投げ機動隊の楯に当てていたのを現認した(〈証拠略〉)。

(4) 竹田警部は、午後一〇時二五分ころまでの間、原告を含めた被疑者らの動向を確認した後、指揮下の直轄警ら隊員に対し、犯行の状況、公務執行妨害罪という罪名、被疑者らの服装、被疑者らのいる位置を説明の上、被疑者五名の検挙を命令した。その際、各班の分担として、第一班は市更相の南側細街路を東方から西進して被疑者等の後方に回り込んで逃走防止、第二班は市更相南側に直進して被疑者の検挙、第三班は市更相南側に直進して第二班の支援と被疑者の奪還防止とすることを隊員に指示し、各隊員に被疑者の確認をさせた上、第一班は、太子一丁目一五番八号ホテル「うれしの」前路上に転身配置を指示した(〈証拠略〉)。

(5) 竹田警部は、午後一〇時三四分ころに第一班班長から無線で「転身配置」の報告を受け、第二班及び第三班に「検挙前」と号令を下し、第二班は車道東側寄りを、第三班は竹田警部を先頭に車道中央付近を一列縦隊の徒歩で北進を開始した(〈証拠略〉)。

(三)  原告を逮捕した際の状況

直轄警ら隊第二班及び第三班が被疑者らの前方約一〇メートルまで接近したとき、被疑者らは市更相南側細街路を東方向に逃走を開始したので、第二班及び第三班が追跡したところ、被疑者らは細街路を東側から西側に向かってきた第一班と鉢合わせして入り乱れていたが、竹田警部は、原告が第一班の隊員の横をすり抜けて更に東に逃走しようとするのを認めた。そして、同時にこれを認めた草竹警部補は、原告に対し、「止まれ、止まれ。」と連呼しながら二〇メートル追跡して太子一丁目一五番一〇号先路上で追いつき、原告の右肩に手をかけたところ、原告は右手でこれを振り払おうとして右肩をねじると同時につまづいて左肩部から電柱に衝突し、電柱を巻き込むような形で倒れ込み、後頭部をモルタル塗り建物の角に打ちつけて、尻餅をつき仰向けに倒れた。草竹警部補は、午後一〇時三七分ころ、両手で起き上がろうとする原告の両肩を押さえつけ、原告に「公務執行妨害で逮捕する。」と告げて現行犯逮捕した上、近くにいた黒田巡査部長及び湯前巡査に対し、「この男は公妨の被疑者である。二人で本署まで連行せよ。」と命じた(〈証拠略〉)。

3  原告は、「本件当時の本件投石現場における照明の位置、状態、程度及び方向や、警察官から原告までの距離を考慮すると、ジャンパーとウインドブレーカーの区別、作業ズボンの黒っぽい色と紺色との区別は不可能であり、投石行為者として原告を特定することは不可能であった」旨主張する。

しかしながら、証拠(〈略〉)によれば、投石現場の付近には、①市更相前の水銀灯、②「万田屋酒店」と「大木硝子」の境のところの水銀灯、③「パブリックホテル」前の水銀灯、市更相南西角の螢光燈が存在していたこと、竹田警部は、投石した原告を検挙すべき人間として特定する際、黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンの男というように、服装をもって特定しているところ、原告が本件当時黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンを着ていたことは争いがないことからすれば、竹田警部及び草竹警部補は、投石現場の照明状況のもとで、原告の投石行為を現認し、原告を特定することも可能であったというべきである。

4  また、原告は、視力が弱く本件当時眼鏡をかけていたのであるから、眼鏡をかけていなかったとする竹田警部の証言は信用できない旨主張し、原告本人は主張に沿う供述をしている。原告は、その供述において、自己の裸眼視力を0.01ないし0.03であると述べているところ、右程度の視力であれば、眼鏡をかけなければ夜間の歩行等にも不便であることは明らかであるが、後記認定のとおり、原告は四日午前〇時四〇分に西成署において釈放されてから、宿泊先に戻り、同日午前二時ころ行岡病院に行き診察を受けているところ、眼鏡をかけないまま西成署を出た原告が宿泊先に戻るに際して眼鏡がなかったために不自由をした点について何ら述べておらず、また行岡病院に行く際にも眼鏡をかけていなかったとすれば、眼鏡がなくとも夜間同病院を捜し当てることができたのであるから、原告は眼鏡をかけなければ夜間外出が全くできないほど視力が弱いとは認められない。そうであれば、右の竹田警部の現認状況に照らして、原告の右供述は採用できない。

5  さらに、原告は、原告を逮捕し取り調べた各警察官が、客観的証拠の収集活動をせず、原告を取り調べたのみで直ちに釈放しているから、警察には、市更相周辺の違法行為者を特定し、その身柄を確保するとともに、被害警察官を特定し、投石された石等の証拠を総合して、行為者の処分を決定するという意図はなく、したがって、原告の投石行為を現認したと主張する警察官にも、投石行為者を現認する意図がなかったことは明白であるから、原告の投石行為を現認しているはずがない旨主張する。

しかしながら、証拠(〈略〉)によれば、原告を逮捕した当時、逮捕現場は騒乱状態が継続しており、石の採取、実況見分等の証拠収集活動は極めて困難な状況であったことが認められるから、客観的証拠の収集が期待できないとの判断から、原告を取り調べたのみで釈放したことも理解できないではなく、原告主張事実のみをもっては、前記認定を覆すには足りない。

6  以上によれば、竹田警部及び草竹警部補は、当時黒っぽいウインドブレーカーに紺色作業ズボンを着ていた原告が、市更相前において数回機動隊の警察官に向けて投石を行ったことを現認したことが認められ、原告に対する現行犯逮捕は適法であると認められるから、本件現行犯逮捕を違法とする原告の主張は理由がない。

二  取調室における警察官による暴行について

1  請求原因4(一)の事実のうち、原告を、西成署三階の講堂に他の連行者とともに集めたこと、同4(二)の事実のうち、警察官が原告に対して氏名、年齢等を尋ねたが、原告が黙秘権を行使したこと、同4(三)の事実のうち、原告が黙秘を続けたこと、番号札を持った原告の立姿を写真撮影したこと、原告を二階の取調室に連行したこと、同4(四)の事実のうち、原告を取調室の椅子に座らせたこと、再度氏名等を尋ねたが原告が黙秘を続けたこと、同5の事実のうち、原告を四日午前〇時四〇分ころに釈放したことは、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いがない事実及び後掲の証拠によれば、西成署における原告に対する取調べ状況及び原告の釈放後の病院での診察状況について以下の事実が認められる。

(一)  原告の連行状況

竹田警部は、逮捕した被疑者である原告らを連行するため南海天王寺線線路沿いに集めるよう指示し、その指示を受けた黒田巡査が、原告を逮捕場所から右線路沿いへ連行する途中の街灯の下において、原告の後頭部の髪の毛が若干血で濡れたようになっていたのを認めた。その後、竹田警部を先頭に右線路上を西成警察署に向けて進行したので、黒田巡査部長及び湯前巡査の両名は、原告の腕を持って連行したが、原告は腕をほどこうとしたり、身体をねじるなどの抵抗をしたので、持っている腕を強く握って制止した。竹田警部らは、午後一〇時四五分ころ、原告らを被疑者受入れ場所である西成署三階の講堂に原告らを連行し、受入れ班の捜査員にそれぞれ引致した(〈証拠略〉)。

(二)  原告の受入れ時の状況

西成署刑事課員らは、受入れ被疑者の受付、事件判断、弁解録取及び取調べを主な任務とする「受入れ班」を組織し、講堂の床にビニールシートを敷き、長机、パイプ椅子を置いて受入れ場所としていた。

直轄警ら隊が午後一〇時四五分ころ原告を含む被疑者ら一二名を連行してきたので、受入れ班は、連行者らに番号札と「公妨事件取扱メモ」を手渡した。

原告は住所氏名等を黙秘したので、受付番号により「西成二五」と呼称され、その取調べは、受入れ班第一班班長栗林警部補が担当することとなった。(〈証拠略〉)

(三)  原告の取調べ指示

(1) 栗林警部補は、佐々木巡査部長及び大西巡査長に対し、原告からの弁解録取及び取調べを命じた。その際佐々木巡査は、原告の頭部負傷に気付き、頭部を点検したところ、後頭部の上部に止血した傷跡が認められた(〈証拠略〉)。

(2) 栗林警部補は、同時に、三田村裕史巡査に対し、原告と連行者の並立写真を撮影するよう指示するとともに、原告に対して住所、氏名等人定事項を質問したが、原告は黙秘した(〈証拠略〉)。

(四)  講堂における原告の取調べ状況

(1) 佐々木巡査部長及び大西巡査長は、午後一〇時五〇分ころ、原告の写真撮影後、原告に対し、中央北側付近のパイプ椅子に座るよう申し向けたが、原告は体を硬くして立ったまま座ろうとしなかったので、原告の左側に位置していた佐々木巡査部長が原告の左腕を取ってパイプ椅子に座らせようとしたところ、原告は頑として身体を硬直させ椅子に座ろうとしなかった。そこで、佐々木巡査部長が更に原告の左肩を押さえて座らせようとしたところ、原告は座ろうとせず佐々木巡査部長の手を振りほどきながら講堂から退室しようとしたので、佐々木巡査部長がこれを制止しようとしたが、原告はこれに抵抗し、パイプ椅子が倒れ、原告と佐々木巡査部長が共にその場に倒れた(〈証拠略〉)。

(2) 栗林警部補は、講堂内が他の被疑者や取調官の大声で取調べに支障が有り、かつ、原告の逃走を防止するため、取調べ場所を取調室へ変るよう指示したので、佐々木巡査部長が先頭に立ち、大西巡査長が原告の左腕を持って取調室へ向かった(〈証拠略〉)。

(3) 取調室においては、原告を取調室中央のスチール机の西側の丸椅子に座らせ、佐々木巡査部長は東側の折りたたみ式パイプ椅子に原告に正対して座り、大西巡査長は北西角の木製机に向いて折りたたみ式パイプ椅子に座り、出入口開戸は、面割作業が容易にできるよう開放した状態で取調べを行った。取調室には、中央のスチール製机の上に弁解録取書とメモ用紙が、北西角の木製机の上に司法書類用紙が置かれていたが、それ以外のものはなかった。(〈証拠略〉)

(4) 佐々木巡査部長は、原告に対し、本件被疑事実の要旨を告げて弁解の機会を与えたが、原告はうつむいたまま何も喋らず、弁護人を選任できる旨を告げても黙して語らなかったので、その旨記載した弁解録取書を作成し、署名、指印を求めたが、原告はこれにも応じなかった(〈証拠略〉)。

(5) 佐々木巡査部長は、弁解録取書作成後、原告の頭部負傷状況を再確認したところ、講堂で確認したときと同様の状態で腫れもなく、「病院に行って手当てするか。」と尋ねても原告は無言であり、他に怪我がないか調べようとしたことに対しても、原告が手を振り上げて拒否する態度を示した(〈証拠略〉)。

(6) その後、佐々木巡査部長は、原告に住所、氏名、年齢等の人定事項を質問したが、原告はすべて黙秘した(〈証拠略〉)。

(7) 栗林班長は、午後一一時二〇分ころ、取調室に行き、佐々木巡査部長を廊下に呼んで取調べ状況を確認した。この際、他の警察官が、取調室の外から原告を見て原告の氏名等を割り出そうとしたが、割り出すには至らなかった(〈証拠略〉)。

(8) 佐々木巡査部長は、午後一一時三五分ころに取調室に来た受入れ班の責任者である粉川警部に取調べ状況を報告し、その後に取調べを再開して被疑事実や所持品等について繰り返し発問したが、原告は黙秘を続けた(〈証拠略〉)。

(9) 他の警察官が、四日午前〇時二〇分ころ、取調室の外から面割り確認を行ったが、原告と確認するには至らなかった(〈証拠略〉)。

(五)  原告の釈放

受入れ班の責任者である粉川警部は、原告に対する取調べ状況について完全黙秘である旨の報告を受け、事案の内容からして事後捜査に委ねるべきであると判断して、上司に報告して釈放の指示を受け、同日午前〇時四〇分、原告を釈放した(〈証拠略〉)。

(六)  行岡病院での診察

原告は、同日午前二時ころ、原告の宿泊所近くの大阪市北区所在の救急病院である行岡病院に行き、後頭部の二センチメートルの挫創を二針縫う治療及び左肘の擦過創に消毒薬を塗る治療を受けたが、その際、原告は、行岡病院の医師に対し、負傷した原因を自転車で走行中に幅寄せされて転倒した旨告げた(〈証拠略〉)。

(七)  松浦診療所での診察

その後、原告は、六日、大阪市港区所在の医療法人南労会松浦診療所において診察を受け、後頭部挫創、頭部打撲、脊部打撲挫創、項部打撲、顔面打撲、尾骨部打撲、両前腕挫創、右肘打撲の診察を受けた(〈証拠略〉)。

3 右認定の事実によれば、原告は、西成署から釈放された約一時間二〇分後の四日午前二時に行岡病院で診察を受けて後頭部挫創及び左前腕部擦過創が認められているから、右傷害は西成署釈放時点において存在していたものと認められる。

これに対し、原告が六日に松浦診療所で診察を受けた際に認められた脊部打撲挫創、顔面打撲、尾骨部打撲、右膝打撲については、行岡病院の診察において認められておらず、この点について原告は、緊急に治療が必要な傷害部分のみを診療してもらったためにすぎない旨主張する。しかしながら、五日に原告の脊部打撲挫創を撮影したとする検甲第四、第五号証によれば、右脊部打撲挫創はかなり重篤なものと認められ、しかも、原告の供述によれば、原告は大阪の救援連絡センターの電話番号も知っており、また釈放後直ちに釜ケ崎日雇労働組合の事務所に連絡に行っていることからすれば、何らかの適切なアドバイスを受けたと思われるにもかかわらず、行岡病院において脊部の診察を受けず、しかも、五日には弁護士の元を伺ね事情を説明し、同日写真撮影までしているにもかかわらず、六日まで背部の診察を受けなかったのは、いかにも不自然といわざるをえない。

また、原告は行岡病院における診察の際、負傷した原因を自転車で走行中に幅寄せされて転倒した旨の虚偽の事実を告げており、これについて原告は、警察での暴行の事実を医師に告げても信じてもらえず、警察に住所氏名を通報されてしまうのではないかという不安をもったためである旨主張するが、仮に原告が当時そのように考えたとしても、そのことが頭部及び左肘部以外の傷の治療を求めない理由とはならないから、右脊部の診察を受けなかった点も併せ考えると、不自然、不合理な感を払拭することはできない。

右の事情を総合すると、原告が四日午前〇時四〇分ころに西成署を釈放された際に後頭部挫創及び左前腕部擦過創の傷害が存在したことは認められるものの、他の脊部打撲挫創等の傷害が存在したと認めるには足りないというべきである。

4 次に、原告の後頭部挫創の発生原因について検討するに、前記認定の事実によれば、黒田巡査は、原告を逮捕場所から南海天王寺線線路沿いへ連行する途中の街灯の下において、原告の後頭部の髪の毛が若干血で濡れたようになっていたのを認めていること、原告の取調べを担当した佐々木巡査が原告の頭部負傷に気付いて頭部を点検したところ、後頭部の上部に止血した傷跡を確認したことが認められる。そうすると、原告の後頭部挫創については、少なくとも原告が天王寺線線路沿いに連行されるまでに生じたことが推認できるところ、草竹警部補が原告を逮捕する際、路上で追いついて原告の右肩に手をかけるや、原告は右手でこれを振り払おうとして右肩をねじると同時につまづいて左肩部から電柱に衝突し、電柱を巻き込むような形で倒れ込み、後頭部をモルタル塗り建物の角に打ちつけて、尻餅をつき仰向けに倒れたことは前記認定のとおりであるから、この後頭部を建物の角にぶつけた際に後頭部挫創が生じたものと推認できる。

これに対し、原告は、モルタル塗り建物の壁の角に頭を勢いよくぶつけたとすると、後頭部に長さ二センチメートル程度の挫創を生ずるにとどまらず、もっと重い挫創が生じたはずである旨主張するが、原告の後頭部挫創は長さ二センチメートルで二針の縫合を要する傷害だったことは前記判示の行岡病院での診察結果のとおりであり、その程度は必ずしも軽傷とは言い難いものであって、モルタル塗り建物の壁の角に頭をぶつけたことによって生じたとしても矛盾するとはいえないから、原告の主張は理由がない。

また、原告は、原告を逮捕場所から西成署まで連行した黒田巡査部長が原告の後頭部の傷を見ていると供述しているのに、原告を逮捕して右腕を後ろ手にもっていた草竹警部補は後頭部の傷を見ていないと供述するのは矛盾している旨主張するが、草竹警部補が原告を逮捕したのは午後一〇時三七分ころであること、逮捕場所付近が特に明るかったとも認められないこと、草竹警部補は逮捕後直ちに黒田巡査部長及び湯前巡査に原告の連行を命じて原告の身柄を手放していること、黒田巡査部長が原告の後頭部の傷に気付いたのは街灯設置場所付近の道路上であったこと等に照らすと、草竹警部補が原告の後頭部の傷に気付かなかったからといって、必ずしも不自然とはいえない。

さらに、原告は、栗林警部補及び佐々木巡査部長が原告の後頭部付近に幅約一ミリ、長さ約五ミリの傷があった旨供述するのは、傷の長さが二センチメートルという行岡病院の診断結果と矛盾するので、右供述は信用性がない旨主張する。しかしながら、右両警察官が傷を見た際に正確に傷の長さを計測したわけではなく、専門家である医師の計測方法と警察官の目分量を同列に扱うことはできないから、右程度の長さの差異が直ちに両警察官の証言の信用性を喪失させるものではないことは明らかである。

以上から、原告の後頭部挫創は、逮捕される直前に後頭部を建物の角にぶつけた際に生じたものと推認できる。

5  原告に対する取調べ及びその際の原告の傷の状況は右2に認定したとおりであり、警察官から種々の暴行を受けて傷害を負ったとする原告本人の供述は、前掲証拠と対比して採用することができず、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

三  以上によれば、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官島田清次郎 裁判官佐藤道明 裁判官春名茂)

別紙現認・逮捕現場見取図〈省略〉

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